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2015.07.21

死者を祀るということ その2 心が折れる

 きのうさんざん愚痴った位牌の件は、解決した。
 ぐだぐだの愚痴に付き合ってくださった(途中で嫌になったらごめんなさい)みなさん、ありがとうございますm(_ _)m。

 昨日の電話で最後にわたしが「嫁が変なことばかり言ってるとお寺に相談して。考え方が全然違うのだから、折り合うことはない。第三者を入れて。自分たちだけで対処法を考えるのはやめて」としつこく言ったので、さっそく今日お寺に行ったらしい。そんでもってどういう経緯かわからないが、わたしは位牌抜きで好きに祀っても良いことになった。

 常識的に考えて、泣いて嫌がる大人に対し、自分の思い通りに何かをさせようとするとか、何かをさせられると信じていること自体おかしいはずなので、お寺さんが常識的に判断し姑を説得したのだと思うのだが。自分の主張が常に正しく、相手が常に間違ってると思い込んでいる人に接するのは苦痛でしかない。

 本人は気づかないが、自分の主張が常に正しいと思っている人に対し、たいていの人は離れるか、口ではその人の言うことを聞くふりをして後ろを向いてあっかんべーしてるはず。あるいは心を閉ざしてかたくなになる。徹底抗戦する人は少ないのでは。

 わたしも今は気持ちに余裕があるから(たぶん)戦えたけれど、心のエネルギーが切れかけている時にされたら、心が折れるかもしれない。というか、実際いちど本当に折れたことがあるから気をつけなきゃ。傷が癒える前に追い打ちをかけるようなことがあれば、立ち直れなくなるかもしれない。今回は問題は解決してるけど、どんより気分はまだ抜けてないし、心が折れたときの問題は今もまだ引きずっているし。

 姑はこれからもわたしには想定外のことを要求したり(本人はいたって当たり前に思っている)、言ってくるかもしれないんだよな。ていうか実際今回してきたわけだし、葬式が終わった直後にも何を考えてるかわからないことを尋ねてきたし。今までは夫がクッションになってたけど、それがなくなってしまったからな。

 逆にもしかするともしかするとだけど、夫の鬱がいつまでも治らなかった理由、一度はやめたお酒にまた手を出して再起不能になるまで飲み続けた理由がわかるかもしれない。

 すみません。今日もまた愚痴でした。でも、時々ここで発散させてもらう予定です。

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