2015.07.28

遺影

 お葬式に写真がいるんだよなぁって、いよいよ危ないって言われたときに漠然と思った。わたしたちは写真を撮るのが嫌いなので、旅行に行ったって写真を撮ることはなかった。唯一、他の人を撮った御礼にわたしたちを撮ってもらったものがあるだけ。でもあれは20年ほど前で、前すぎるて若すぎる。

 ということで、葬式に写真はないのはおかしいだろうかと漠然と思っていた。ところがふと、そういえば甥っ子と一緒に撮った写真がいっっぱいあるではないかと思い出し、いよいよ危ないってなったときに義妹にメールでダンナの写真を探してほしいとお願いした。息を引き取る少し前だったか、後だったかよく覚えてないんだけど、義妹が3枚写真をメールしてくれた。その中に、まだ赤ん坊だった甥っ子のベビーカーを押してまっすぐ正面を見ている写真があった。ダンナにしては満面の笑みを浮かべてる上に、お気に入りで一番似合ってるピンクのシャツを着ているもの。

 これ以上の写真はないと、これを遺影にしてもらうことにした。

 わたしからメールを受けたとき、義妹はこの写真をすぐに思い出したという。それで何百枚もあるデータの中からこの写真を探し出してくれた。

 確かにこの写真、奇跡の一枚。甥っ子が生まれる少し前から鬱病になって、こんな笑顔をするってことはめったになかったからだ。いろいろ試してみたけど、結局わたしたちは子供に恵まれなかったので、ダンナは甥っ子が生まれたことを心から喜んでいたし、目に入れても痛くないくらいかわいがっていた。

 義妹が仕事に行く日、週に一度だけだけどベビーシッターをしに行き、この頃はたぶんアルコールもやめてたんだじゃないかな。夫はそのおかげか復職するまでに回復した。ま、その後また調子を崩して再び休職することになるんだけど。

 お葬式に飾る用のとは別に、小さい写真を別に用意してもらった。大きい方は大きな骨箱と一緒に夫の実家に持っていき、大好きだったおじいちゃんおばあちゃんと一緒に並べてもらうつもりだ。

 小さい方は小さなお骨と一緒にうちに並べるつもりにしている。

 

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2015.07.27

お葬式

 葬式の日は長く、忙しい。喪主ってこんなに忙しいの? 悲しみに暮れる未亡人とかできないんですけど? たぶん昔は、隣近所の人が全部してくれて、喪主やら家族やらは死んだ人のそばにずっと座ってたのかもしれない。

 前日、小五の甥っ子から明日は何するの? 長い一日なの? と聞かれた。
 長いよ。おじちゃんのお葬式をして、お骨にしてもらいに行くんだよと言った。
 甥っ子は何を感じ、何を考えてるんだろう。感性とか自我が育ち始める時期だし。中学生くらいになったら聞いてみよう。

 朝、6時になんとなく起きてごそごそ、7時に昨日頼んでおいた朝食が届く。さっさと食べて、7時30分には着付けが始める。しかし、今の時代、喪主でも服でいいんじゃないのか。わたし一人が着物ってなんか理不尽な気がする。まあ、ちゃんとした喪服がなくなっちゃったから、今回に限りまあいいか。

 着替えが終わって外に出ると、夫の故郷からの人たちが来ている。顔はわかるんだけど、申し訳ないことに、いまだに名前と顔が一致せず関係がよくわからない人もいる。本当に写真付きの家系図がほしい! 小学校の時の遊び仲間の人が2人来てくれた。ちょこっとだけお話しする。

 あとは最初の会社の友人夫婦と娘さん一人。奥さんはわたしの友人、わたしたちの結婚式で出会い、結婚したというドラマの登場人物のような二人だ。

 9時30分に葬儀が始まる。40名たらずなので、時間はそれほどかからない。葬儀の後はお棺に花などを入れる。葬儀社の人がカップ麺を作って紙皿に入れてもってきてくれる。袋麺はいいけど、カップ麺はカップが入れられないからとのこと。でもちゃんと作ってくれるってうれしい。ラーメンに東京大阪間の夜行列車(名前が思い出せない……・ごめん)の最終便の切符(あれが最後の夜行列車の旅だったけ)、訪問看護師さんがくれた誕生日カードと病棟の担当看護師さんがくれたメッセージカードも入れた。

 そして喪主の挨拶。葬儀社の人から昨日もらった定型の挨拶文は、ちょっとわたしたちっぽくない感じなので内容は昨晩のうちに自分で考えた。20歳で故郷を出たので、近所の人や親戚関係の人は夫がどんな風に大人になって暮らしていたか知らないだろうと、経歴や趣味などを語る。鬱病になったことやアル中だったことも。あまりにも急な死で、みんな何が起こったかわからないだろうし。

 夫を1時間かけて火葬場につれていく。火葬場は東山のあたり。本当に緑に囲まれた美しいところ。町中なのに、山に入ると別世界になるところが京都の面白いところだ。

 さすがに最後の別れの時はやっぱり泣きそうになった。義妹をみつけて、また泣きつく。本当に彼女が義弟のお嫁さんでよかったと思う。わたしが泣き止むまでずっと抱きしめて声をかけてくれる。わたしはあんな風に、思いやりを持っておしつけがましくなく声をかけられるだろうか。自信ない。

 亡き終わった頃に、夫の従兄弟のお嫁さんも来てくれた。3人で思い出話を。若い頃は男3人が酒を飲んでいるときに、わたしたち3人はおしゃべりをしたものだ。もう十五年くらい前? なつかしい。

 火葬場の1時間というのは、長いと思うけど、たぶん現実と悲しみを受け入れる準備期間なのかもしれない。ただ未だに自分がどう感じてるのか、全然わからないんだけど。

 


 

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2015.07.25

通夜の夜

 なんだかんだとしているうちに、夜になって通夜がはじまった。
 
 戒名は地元のお寺にお願いしていたので、お通夜とお葬式だけ葬儀社がさがしてくれたお坊さんがきてくださった。今時そういうのがあるのよね。まあ、ここは一応京都のはずれ。たいがいの宗派のお寺はあるのだろうなぁ。料金も明朗会計。普段おつきあいしているお寺だと、こうはいかないでしょう。都会(といっていいよね。周りは田んぼと畑だけど、大阪と京都の間だし)のこういうところ、大好き!

 なんだかんだと12,3名ほどが通夜の席に。お寿司を15人前頼み、スーパーでお菓子もちょっとだけ買っててよかった。あまったとしても、こういう時はけちけちしない方がいいかも(まあ、わたしが支払うわけじゃないし)。

 いろいろ供え物ももってきてくださって、夫の棺の前に並べてる。その前に、訪問者が首をひねるものが……。カップヌードルシーフード味とサッポロ一番塩ラーメン。これは明日、棺の中に入れようと思ってわたしが買ってきたもの。浸透圧性脳症にかかって飲み込む力が弱っていたため、2年前からほとんどラーメンを食べられなかったから。ごめんなさい。夫用のラーメンを作るのちょこっと手間がかかるので、あまり作ってあげられなかった。
本当は弟がビール(プレミアムモルツ)も買ってきてくれてたんだけど、これはお通夜が始まる前に夫に飲ませた。

 遺体にビールを飲ませる方法は、納棺師さんから教えてもらっていた。紙コップにビールをあけて、何とかの葉っぱを浸し、唇をぬらしてあげる。こっちがポピュラー。で、酒豪の人用と方法というのがある。遺体の唇をちょこっとだけ開けて、紙コップのビールをちょこっとだけそそぐ。あんまし唇をあけると形が崩れてなおらないですよぉって言われてたので、おそるおそる唇をあけて、おそるおそるビールを注いでみる。おお、こぼれない。
 倒れてからずっと飲めなかったもんね。これからは誰に怒られることもなく堂々と飲めるよ。たぶん。

 出席者がみんな帰って、夜通しいるのは5人。義弟はお酒を飲んですでに眠ってる。舅姑も寝る体勢に。葬儀社の人はお線香のことを説明して帰って行った。どうやらあの蚊取り線香型の線香は、7時間ほどで消えるので夜中の3時くらいにつけなおさなきゃならないらしい。

 布団が4人分しかないので、わたしは線香の番のつもりで夫の棺の前で寝ることにして、椅子を3つ並べて横になる。昨日は一人だったから、「一緒に寝て」って言ってる気がしたし。

 でも誰か、途中で変わってくれるのを期待して。いや、そもそも通夜って、みんなで寝ずの番をして線香が消えないようにするのでは? といいながら、蚊取り線香型線香が容器にぶつかって火が消えたり、うとうとしてるうちに燃え尽きたりして、なんだかんだって火がついてない時もあったけど大丈夫だったのだろうか。結局、誰も線香を気にして様子を見に来ることはなかった。一度夫のおばさんが、少しは寝なさいよと言ってくれたくらい。いいんだけど。みんな朝まで線香が持つって思ってたのだろうか。そういえば、本当に起きてる気ゼロだったよねぇ。まあ、舅姑も高齢だからしょうがないっちゃしょうがないけど。弟も寝るのが早いけど、起きるのも早いんだけど、つかれすぎてたのかなぁ。

 風邪の咳がひどくなってたし、なんやかやで疲れてたし、仏教の線香のにおいと煙のアレルギーだしで、頭が痛くなってしで眠れず、ロキソニンを飲んで、いつものように夫に日経新聞を読んであげているうちに、わたしも6時まで眠ってしまったようだ。いや、こんな通夜で本当にいいのか?

 みんなは何事もなかったように起きてきて、線香のことは全く気にもとめない。わたしが一晩起きてたかどうかも誰も気にしない。

 いや、お礼してくれとか、ほめてくれとか、ねぎらいの言葉とかほしいとかそんなんじゃないんだけど。そんなのやって当然なんだけど。でもやっぱり、なんか一言ほしいです。やっぱりほしいです。人間ですから。

 そして葬式の当日となった。
 

 

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2015.07.24

通夜の日のお昼

 お通夜というのは基本夜にするものなので、明るいうちはすることはそれほどない……と思ってた。

 それでも朝食をそこそこにダンナとわたしの着物を箪笥から引っ張り出す。わたしがあれこれ片付けたり準備している間に、母がしつけをとっていく。1時には葬儀場が開き、そのくらいに遺影に使う写真データを渡さなくてはいけない。
 ということで、USBメモリーに入ったデータを義弟が舅姑を我が家に連れてきて、わたしが一緒に葬儀会館に行くと言う段取りのはず。12時くらいに来るのかと思って、家でお昼を食べる想定してなかったんだけど、こちらへの到着が遅れに遅れて1時。家にはラーメンしかなかったので、急遽ラーメンをたべることに。

 ということで、先にデータと舅姑を葬儀会館に義弟が連れて行き、その後わたしを迎えに来ることになった。
 で、着いた頃に背景の色はって電話がかかってきた。背景の色って選べるの? ということで、姑が我が家に送ってきた荷物をもって、義弟に葬儀会館に連れてってもらい背景を選んだ。

 今時、遺影の背景っていろいろ選べるのね。なんかプリクラみたいなんですけど。それにこれはちょっとどう?ってのもいっぱい。

 まあ、うちは無難にピンクにあうブルーグレイの背景で。

 3時には納棺師さんが来るので、それまでに帰ってこなくては。ということで急いで市役所に行き、死亡届を出して火葬許可証をもらう。その時はじめて、我が町にというかその辺り一帯に火葬場がないことを知る。うそ。京都市内、しかも東山というのに絶句。めっちゃ遠いやん。それでも最寄りなんだよなぁ。ほんまにうそみたい。

 それから義弟に近くの大型スーパーに連れて行ってもらう。家にあるフォーマルのサイズが全部アウトだったので、新しいのを買わなきゃいけなかったのだ(;ω;)。しかもパンツスーツがなく、フォーマルじゃないパンツもあうサイズがなく、大きめのちょっとだぶだぶなのを買って裾直しをお願いする。すみません、喪主なんですけどって言ったら、お店の人が頑張ってくれた。あれやこれやで1時間くらいかかってしまった。そしてついでにお通夜で食べるお菓子なども買い、3時ぎりぎりに葬儀会館に到着。

 すぐに納棺師さんがやってきて、いろいろ説明をしてくださる。若い女性なのにびっくり。いやもっくんみたいなイケメンがこられても困るけど(何が?)。体をチェックしながら着物を着せて、あんまり必要なさそうだけど死化粧をしますとのこと。むくみがまだ残ってるので、体から水分が出るかもしれないのが気になるらしい。一応、亡くなったあとからも動かすたんびに吐いて、病院でいっぱい吸引してもらったことを説明した。持ってきた着物は一式、全部使ってもらえることに。すごい。数珠はわたしの祖父の形見で、結婚以来夫が使ってたもので。

 納棺師さんがお仕事をしている間、わたしは葬儀社の人と打ち合わせ。舅たちが通夜とかお葬式の品物やら食事を増やしてほしいと言ってるけど数が合計いくつになるのかと。いや、それわたしに聞かれてもわかりませんけど。話をつなぎ合わせて数を伝える。その後も2転3転あって、わたしも葬儀屋さんも数がわからなくなってくる。

 長男の長男が亡くなったので、本来なら向こうで葬式のはずなんだけど、そういうことは何も言われなかったんだけど、よかったのかなぁ。前に舅の弟が亡くなったときは、大阪から地元へ運んだんだけど。急だったせいかな、わたしが勝手に葬儀屋さんを生協でお願いするって言ったせいなのか。でも3時間も4時間もかけて向こうの葬儀場に連れて行く意味もわからんが。

 急なことだったので、田舎に連絡して誰が来るとかが全然読めなかったみたい。携帯電話が発達した時代でよかったよね。そうじゃなかったらもっと大変だったかも。

 納棺師さんのお仕事が終わったので見せてもらう。きれいに着付けてもらって、ひげもきれいに剃ってもらって(病院でもそってくれてたけど、ちょこっとだけ残ってた部分)、つながってた眉毛も剃ってもらって(病院では夫らしいからという理由で看護師さんたちが剃らなかった)鬱血したおでこに死化粧をし、どう見ても眠ってるみたい。それにどっか大店の旦はんみたい。

 納棺師さんとわたしと弟、葬儀社の人にも手伝ってもらってお棺に入れる。いよいよ遺体っぽくなってきた。

 なんだかステファニー・プラム・シリーズのメイザおばあちゃんの気持ちがわかってきたような。


 

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2015.07.22

葬式の段取り

 ダンナが亡くなり、義弟が来たのは8時過ぎ。夜の9時頃に葬儀場についた。

 9時30分くらいから葬儀の段取り。だいたい1時間から1時間半くらいかかるとか。とにかく姑は豪華すぎず、それでいて貧乏くさくないというのが要望。語弊があるかもしれないがわたしは葬式の形はどうでもいいと思ってるので、この場はすべておまかせすることに。

 舅と姑は仏教式ではなく、なぜかフリースタイルを選んだ。どうやら最初のページにしか目が行かず、次のページの仏教式に気がつかなかったようだ。フリースタイルって現代っぽくてすっごくきれい。でもなんとなくキリスト教っぽい気もするけど、まあいいか。
 
 お棺に入れるのは納棺師にするのか、葬儀場の職員にするのか、その前に湯灌(祖母の時に訳もわからずにしてもらったけど、遺体をお風呂に入れてきれいにする、すっごくきれいになって、祖母の死に顔はとてもきれいだったが、お金もそれなりにかかる)をするか。ということで、そんなことを聞いたことのない舅たちはきょとん。わたしは映画『おくりびと』を見て、納棺師がおくりびとという名にふさわしい素晴らしい仕事をする人だと思っていたので、迷わず納棺師さんを呼んでもらった(もちろんそれなりにお金はいるが、わたしがお金を払うわけではないし、姑はりっぱな葬式にしたいらしいし)。

 最後の服をどうするか。何を着せるか。え、それってでもふつう白装束じゃなくていいの? 父の時はどうだったけか……記憶をたどっても思い出せない。でも白装束以外にも普通の着物があって。その時に結婚するときに作った大島を思い出し、それを着せてもらうことにした。

 あとは通夜の席の食べ物、来た人に渡す商品、お葬式のあとというか初七日の後の食事と来た人にわたす商品。人数のことで姑と舅がもめだしたので、商品はわたしが勝手に決めさせてもらった。その後、姑と舅が地元にある風習を出してきて、その商品がないのか聞いてきた。京都にはない風習なので、そういう商品はない。それでも姑がくいさがるのだがどうにもならない。わたしもよくわからないので、葬儀屋さんに説明できない。この話にかなり時間を取られ23時になろうとしていた。終電に間に合あうよう、ここで舅姑義弟は帰っていった。

 結局、最後の細かいことはわたしが決めることになって、結局家に帰ったのは12時過ぎだった。葬儀会館は翌日13時まで閉鎖とのこと。

 ダンナはそれまでひとりぼっち。寂しがり屋で、いつも夜になると「一緒に寝よ」って言ってたので、今年に入ってからは夫の介護ベッドの横にマットを敷いて、狭くて布団がちゃんとひけないから、寝袋で寝てたんだよなぁ。病院みたいに看護師さんが見に来ることもないし。ひとりぼっちで大丈夫かなぁ。でも決まりだからしょうがないか。

 でも姑があっさり帰って行ったのにはびっくり。

 見舞いに来るたびに、ダンナにべったりはりついてあれやこれやと説教し、いやがるダンナの手や足を無理矢理動かそうとし、帰る時間になってもなかなか離れようとしなかったのに。なんだろう、この違いは。

 つらいんだろうか。つらいから顔を見たくないとは通夜の時によく言ってたけど。まあ、最愛の長男が死んだのだからしょうがないとは思うんだけど。

 

 

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2015.07.19

葬儀まで

 日本で人が死ぬと、形や規模はどうあれ葬式をしなければならない。

 家族が死ぬとその時点から葬儀が終わるまで、悲しみにくれる時間がないのではと思われるほど忙しい。斎場もしくは自宅など、葬儀する場に到着すると葬式の準備に入る。カタログを見ながら、どのくらいの予算でどんな形の葬式にするか、飾りをどうするのか、誰が来るか、香典をもらうのかもらわないのか、来てくれた人に何を渡すのか、通夜のあとの料理はどうするか、葬式のあとの料理はどうするか、などなど。死者そっちのけで、話し合う。シビアに金額の話題も出てくる。もちろんその中には葬儀を執り行ってくださる僧侶の方への謝礼も含まれている。でもこういう風に明朗会計なところっていいよね。

 長男の長男である夫は、本来なら地元の岡山県北部の田舎町で葬儀を執り行わなければならない。それを言われると覚悟したけれど、案外あっさりこっちでの葬儀が決まった。でも会社を辞めて2年ほどになるので、会社関係の人の出席は皆無。家族でこじんまりとした葬式になりそうな気配。だけど夫の実家の近所で暮らす、わたしが未だにあまり理解できていない親戚関係やらなにやらの人たちは来るようで、30名ほどが来てくださった。

 京都あたりの風習と夫の実家あたりの風習の違いから、葬儀社の人と舅姑の話がかみ合わないことも多々あり(しかもきちんと説明ができない)、その上わたしも実家の風習が今ひとつわからないこともあり、2時間以上かかってしまって終わったのは夜中近くだった。葬儀社の方には本当に申し訳なく思っている。舅姑はもっぱら誰が来るか、来る人あるいは来ないけれど香典を託してくる人は何人かということに集中していたので、世間様に恥ずかしくないくらいの豪華さ(ということを暗にほのめかす)姑の意向をくんだわたしが、他のすべてをうけおった。

 葬儀場を翌日の昼1時まで閉めるということなので、夫ひとり残しわたしたちは家に、舅姑は義弟の家に帰った。

 翌日は朝から夫に着せる着物やわたしの喪服などを出し、昼から迎えに来てくれた弟と市役所に行って死亡届を出して火葬許可証をもらい、手持ちのフォーマルが全部着れなくなってたので、新しいのを買いに行き、葬儀場についた。夫の遺影をどうするかを話し合いデータをわたし、来てくれた人に渡す品物が少ないのではと思い直した舅姑が数を増やしてくれと言い出したり、通夜のあとの食べ物が少ないと考えたわたしが料理を追加したり、納棺師さんが来てくれて夫に着物を着せてくれて棺に入れたり、あれやこれやしている間にあっという間に通夜となった。
 
 葬式ってなんなんだろう。本当に死者のためのものかな。舅姑の話し合いを見てると、生きている人の自己満足でやってるようにも思える。つらい気持ちもあるだろうけど、舅姑が夫のそばにいるのをついぞ見なかった。わたしに遠慮して、わたしのいない時に別れの挨拶をしたのか? もっと一緒にいたがるのかと思ったんだけど。

 倒れる前はべったりとくっつき、あれこれ説教をたれ、鬱を患っていたときには言ってほしくない余計なことを言いまくって世話を焼こうとしていた姑が、夫に話しかけることもなく誰が何人田舎から来るのかばかりを気にしているのを見てると、なんだかなぁ。

 姑は夫が亡くなった時もっと号泣しなんで死んだのかと泣きわめき、葬儀場でひとりで残しておくのはかわいそうだから残ると言い張り、棺に入ってからもじっとそばにくっついて通夜の夜中ずっと話しかけるのかと想像してたんだけど。悲しいから? それともわたしよりもずっと早く、まだ死ぬなんて主治医でさえ考えてなかった時から覚悟してたの? それともやらなきゃいけないことに心をとらわれてる? それとも……・。

 覚悟を決めてたか、やらなきゃいけないことに心とらわれているのだと信じたいな。

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2015.07.18

死化粧

 ダンナの直接の死因は誤嚥性肺炎。一番気をつけなければならない病気だった。これは前の入院の時から主治医から言われていたもの。浸透圧性脳症の関係で物が飲み込みにくいために、間違って食べ物や唾が肺に入ったら肺炎を起こすと。

 間接の死因というか大本の原因は肝不全。とはいえ、肝臓自体がめっちゃくちゃ悪くなっていたのかといえば、そうでもなかった。数値は悪いけど致命的でもなかった。確かに腹水やら胸水やらたまってたし、足が豚足みたいにぱんぱんにむくんでたけど。でも黄疸にはなってなかったんだよね。最初の入院の前の時の方が顔が黄色くって、今回よりずっと肝臓が悪そうに見えた。

 ともかくダンナの皮膚は黄色くなくて青白くもなくて、バラ色の頬でもなかったけど、健康な人とそれほど変わらない顔色だった。それは死んでからも一緒。お葬式に来てくれた人がみんな言ってたけど、本当に眠ってるみたいで、今にも起きそうな感じだった。

 看護師さんも納棺師さんも、顔にほとんどメイクしなかった。病院では保湿液を塗ってもらった(塗らなくても、看護師さんたちがうらやむぐらいお肌がつやつやで、しかも毛穴がひらいてなかった)けど

 病院では看護師さんがシャンプーをして、夫が愛用している最新のシェーバーを使ってひげをそってくれた。呼吸器つけてたから、なかなかひげがそれなかったもんね。つながった眉毛はダンナらしいということで剃らなかったんだけど、納棺師さんはきれいにそってくれてた。

 納棺師さんが来たとき、ダンナのおでこが赤くなってた。それは前日にはなかったもの。これは何だろうと納棺師さんに聞いたところ、鬱血ではないかとのことだった。

 鬱血って下になった方にたまるのでは……ってつい考えてしまうのは海外ミステリーの読み過ぎなのか、それともCSIのせいなのか。

 たぶんすぐに消えるだろうとはいってたけれど、鬱血したおでこはメイクできれいに隠してもらった。

 いやしかし、夫の場合は病死でしかもまあまあ若くて、急変してから亡くなるまでが1週間ほどだったら元気な時とさほどかわらない感じだったのだけれど、長患いで年を取ってとか、事故とかだったら納棺師さんの仕事って大変なんだろうな。


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2015.07.17

最後の晴れ着

ダンナが亡くなり、看護師さんがシャンプーし顔と体を拭き、ひげを剃って、ちょっとメイクでお顔を整えてくれるという。とは言っても、みんなが驚くほど、眠ったようにしか見えない顔。それにケアをしてくれる看護師さんたちが、うらやむくらいお肌つやつや。結局、唇にちょこっと紅をさしてもらうだけだった。

金曜日はいつもならシャワーに入れてもらってさっぱりしてるところなのだが、その日は朝からベッドから動かせない状態だったので、看護師さんたちが体を拭いて新しいパジャマに着せ替えてくれていた。
でも最後にいっぱい肺にたまってたらしきものを吐いちゃったので、パジャマが汚れてる。

「何を着せる?」 と聞かれて、洗濯したパジャマの替えを持ってこなかったことに気づいた。着せ替えるものがないし、一体何を着せれば? 悩んでいると、わが母が新しいパジャマを着せたらいいのよ。と言って、売店に行ってパジャマを買ってきた。ダンナはきれいにさっぱりしてもらった後、パジャマを着せてもらった。

ダンナは病院からそのまま葬儀場に運んでもらった。
葬儀社の人との打ち合わせは、21時くらいから始まった。病院でも看護師さんにしてもらったのだけれど、棺にきちんと入れる時の身支度は納棺師さんにお願いすることにした。
最後に何を着せるかと言う話になった。一昨年からいざという時のシュミレーションはいろいろしていたのだが、最後に着せる物のことまでは考えていなかった。会社はとっくに辞めてたので、普段の服はユニクロか無印、せいぜいエディーバウアー。それにエンジニアだったから、通勤着はシャツにチノ。一番高い服はたぶん山本寛斎のスーツだろうけど、若い頃に作ったから今はもう着せるのは無理、最近で一番高いのはトミー・フィルフィガーのTシャツだよな。

 
となると、カタログに載っている白装束だよねぇ。と思って眺めていたら普通っぽい着物がある。へぇ、普通っぽい着物があるのか……待てよ。確か結婚するとき作った安物の大島があるじゃない。結局一回も着なかったけど。せっかくだから、着せてあげよう。着物なんてダンナっぽくはないが、最後なんだから最高級の晴れ着を着せてあげよう。

ということで、翌朝(つまり通夜の朝)そそくさと朝食を食べ、着物箪笥を久々に開けた。姑の執拗なまでのお願いで、葬式ではわたしも着物の喪服を着ることになったし。

襦袢や羽織など着物一式を出し、母がしつけを取っていく。全部は使ってもらえないかもしれないけど、一応全部持って行こう。私の祖父の愛用品で、ダンナが譲り受けた菩提樹の実の数珠も入れて。おしゃれで贅沢好みの祖父だったので、いい値段するんだろうけど。

映画『おくりびと』のイメージがあったので、若い女性が納棺師としてやってきたのは驚いた。わたしが持って行った着物を見て、全部揃ってるから全部着せましょうと言ってくれた。六文銭やら付属品のために買った白装束は、その上からかけることになった。(六文銭と聞いただけで、胸がときめいてしまう腐要素たっぷりな妻を許して^^;)。

大島を着たダンナは、どうみても落語に出てくる大店の若旦那、いや年齢的にはもう旦那か……のようだった。おや、なかなか似合ってるじゃない。よかった。一番心配したのはバカ殿みたいになることだったんだけど、大丈夫。

それにしても納棺師さんの手際の良さはみごとだった。すごい。

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2015.07.16

最期の言葉

最期の言葉って、今の日本で普通に病院で亡くなる場合テレビや映画のようにはならないと、夫を看取って思った。どっちかっていうと、モニターの数字を見つめてその時が近づくのを待つ。呼吸器をつけていると最期の時というのは、たいてい意識を失っている。こちらの声は聞こえるだろうけど、本人はしゃべりたくてもしゃべれないのが実情ではないだろうか。

夫の場合、最期の言葉というのはたぶん、当日のお昼に看護師さんに言った「ごはんは?」か、私に言った「何か食べる」だった。食いしん坊な夫の最期の言葉にふさわしいとは思うのだが、なんかドラマティックじゃないなぁ。

ま、現実ってそんなもんだろうけど。

でも「ごはんは」とか「何か食べる」って(^-^;。

そうそうモニターばかりに気を取られて、本人の顔見てないってのもどうよ……って思うんだけど、つい数字が動くとやっぱ見ずにいられない。

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2015.07.15

その日

先週の金曜日、夫が最期の旅に出た。
時間にうるさかった夫らしく、平日の就業時間終了間際のことだった。
わたしと夫の両親、わたしの母で見送った。夫は最後まで、自分が死ぬとは思ってなかったと思う。
主治医の先生や多くの看護師さん、夫を支えてくださった病院のスタッフの方が夫に会いに来てくれた。


普通ならすぐに安置所に連れて行かれるけれど、その病院は葬儀社が迎えに来るまでみんなで病室にいさせてくれた。看護師さんがシャンプーし、体を拭き、顔をきれいにしてくれ、いつものようにパジャマを着替えさせてくれた。

当日担当の看護師さんは、わたしを思いっきり泣かせてくれた。

とてもいい病院に入院していた。スタッフは本当にいい人たちだった。本当に感謝している。

ありがとう。

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